私のルーツ その弐 by小林

某日の出来事

常務「ただの飯ブログやないかい!」

小林「はい・・・。」

リテイクです

私の生まれ育った町

三津屋北に4歳まで住んでいました

上の写真のおおよその位置

40年近く経てば住んでいた家も見る影もないです

三津屋の家が風呂が無く、神崎温泉という銭湯がすぐ近くにあって、5~6年前にもちょくちょく行ってたのですが、今行くと新築の家に変わってました

妹が出来たタイミングで、新高に引っ越しました

この砂場で何故かバクダンマンというあだ名がつきました

一番長く住んだ家ですね

現在はというと

さすがに見ず知らずの人の家の玄関を撮るわけにはいかないので斜めから

ここも道の形という面影だけを残して全部変わってます

それからしばらくして新高幼稚園に入園

 

ここは変わらず健在でした

通園してた頃のこの道、犬のウンコだらけで臭かったのですが、今は綺麗なもんです

ここからが写真が一気に減り、いきなり小学校の卒業式になります

新高小学校は選挙の投票所になるので、割と行きます

三国中学校入学

学校は様変わりしてなかったのですが、阪急三国駅周辺がほぼ原型を留めてないです

成績はあまりよろしくなかったので、高校へは進学せずに東淀川高等職業技術専門校へと進みます

この頃にガス溶接や自動車整備士や危険物の資格を取得しました

1年間で終了し、16歳で就職となりました

ガソリンスタンドのスタッフから始まり

北海道でホテルマンをしたり

たこ焼き屋を半年で畳んだり

紆余曲折して、今の三協スプリングへの入社となりました

 

写真が少ない・・・

やっぱり食べものがないとしまらないので

三津屋商店街の宮里のホルモン焼きを載せておきます

幼少期に、父がつまみに買ってきてたのを横からつまんでました

40年経っても同じ味でした

以上、私のルーツでした

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